大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和60年(あ)648号 決定

国籍

韓国(慶尚北道善山郡舞乙面武夷洞四三五)

住居

大阪府八尾市北本町一丁目二番六号

会社役員

延田清一こと

田宅相

一九二一年九月二四日生

本店所在地

大阪府八尾市北本町一丁目二番六号

延田興業株式会社

右代表者代表取締役

延田清一

右田宅相に対する所得税法違反、法人税法違反、延田興業株式会社に対する法人税法違反各被告事件について、昭和六〇年四月五日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人大槻龍馬の上告趣意第一点は、憲法二九条一項、三一条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第二点は、憲法二九条一項違反をいう点を含め、実質は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第三点は、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 四ツ谷巌 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 大堀誠一)

昭和六〇年(あ)第六四八号

○上告趣意書

法人税法違反 被告人 延田興業株式会社

同 被告人 田宅相

所得税法違反 被告人 田宅相

右被告人らに対する頭書被告事件につき、昭和六〇年四月五日、大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、上告を申し立てた理由は左記のとおりである。

昭和六〇年七月一八日

弁護人弁護士 大槻龍馬

最高裁判所第一小法廷 御中

第一点 原判決は、島本一之名義の通知預金の帰属に関し、判決に影響を及ぼすべき法令違反ならびに重大な事実誤認があり、かつ憲法三一条、同二九条一項に違反する。

以下その理由を述べる。

一 原判決は、被告人田宅相に帰属するとして訴追され、第一審判決がこれを認容した島本一之名義の通知預金の帰属を争う控訴趣意に対し、次のとおり判示してその主張を排斥した。

所論は、右預金が被告人田に帰属するとした原判決は事実を誤認したものであるという。しかし原判決の右認定はその詳細に示された理由とともに相当であって、右理由中に掲記されている各証拠によれば、原判決の右事実認定は、優にこれを肯認することができる。以下、この点に関する所論の要点について判断を示す。

所論は、まず、「原判決の右事実認定の最大の根拠は、架空名義定期預金解明書(符号三九号、以下、解明書ともいう。)であると解されるところ、右解明書は、昭和四五年四月二〇日ごろ作成され、翌四六年の三月八日に差し押さえられているのであるから、その当時であれば、その作成者、作成目的は当然明らかにできたはずであるのに、査察官、検察官のいずれもがこれを明らかにせず、その結果生ずる不利益を被告人が一方的に負うことになった。このような場合、右解明書は、証拠物としての存在は証拠となり得ても、書面の意義は証拠となし得ないのに、原判決は、その記載内容を事実認定の資料としており、これは訴訟手続の法令違反に該当する。」という。

しかし本件で、証拠調べが行われたのは、右解明書中の野島忠義作成部分のみであり、原判決もその部分のみを事実認定の資料としているところ、右部分の証拠調べについて、弁護人は刑事訴訟法三二三条三号の書面として取り調べられることに異議はない旨陳述しているうえ、右部分が右野島の作成にかかるものであること、その作成目的が仮名預金の真実の預金者を明らかにすることにあったこと及びその作成方法が被告人田の預金の当時の担当者であった右野島の記憶に基づくものであったことは、同人の原審における証言により明らかにこれを認めることができるので、原審が右部分を書面の意義が証拠となる証拠物として取り調べ、これを事実認定の資料としたことは正当であり、原審の訴訟手続に所論の違法はないというべきである。

所論は、さらに、右野島は原審において(1)右解明書中の島本一之名義の預金の帰属者が「延田清一」(被告人田)であるとの記載部分は、何に基づいて記載したものか、また、的確な証拠があってこれを書き込んだものかどうかわからず、右解明書を作成した動機もわからない旨、さらに(2)昭和四六年三月八日付近畿相互銀行生野支店長山崎豊茂作成名義の確認書により、前記解明書中の速水龍治及び植田貴久男名義の各預金は「延田清一」に帰属することを確認したが、その後の自己の同月二九日付国税査察官に対する供述書においては、右帰属を否定した旨それぞれ証言しているので、右解明書中の「延田清一」なる記載部分は、必ずしもその全部を信用することはできないという。

しかし、右野島は、右(1)の点については、右解明書中の真実の預金者が「延田清一」である旨の記載は、それが作成された昭和四五年四月当時の自己の記憶に基づいてしたものであり、当時右延田の預金状態を一番よく把握していた者は、同人の外廻り担当者であった自分であった旨、また同(2)の点については、所論主張のように速水ら名義の預金が「延田清一」に帰属すると一旦確認しながらのちこれを否定したのは、昭和四四年四月一日に「延田清一」の預金が全部払い戻されたことがあり、その後新たに預け入れられたことがあったかもしれないが、はっきりした記憶がなかったので、右四月一日より後に払い戻された右速水ら名義の各預金は、右確認から除外することにした旨それぞれ証言しており、その合理的な証言内容及びその根拠となっている前記解明書には、預金の印鑑票と照合するなどして「延田清一」の預金であることを確認し、かつ、右印鑑票の写しを添付した山崎支店長作成の前記確認書という有力な裏づけがあることなどに徴すると、右解明書に「延田清一」と記載された預金は、前記速水ら名義の分を除いて、すべて右延田こと被告人田に帰属すると認めるのが相当である。特に、本件で問題となっている島本一之名義の分は、右解明書によれば、昭和四四年四月一日に払い戻されており、右解明書が前記のとおり昭和四五年四月に作成されていることからして、その記載は前記野島の比較的新しい記憶に基づいて記入されたものと認められるので、その信用性は高いというべきである。

次に所論は、(1)原判決は、前記確認書添付の印鑑票写しの裏面に記載されている「サトウセイサクショ」及び「七日入金」又は「七月入金」の記載部分(以下、「サトウセイサクショ」等の記載などと略称する。)は、一時的なメモ代りとして記載されたものと思料されると判示しているが、銀行において重要書類として保管している印鑑票の裏面に、鉛筆ならともかく、ペン又はボールペンを使用して右のようなメモをすることは、常識上あり得ることでなく、(2)したがって、右「サトウセイサクショ」の記載は、右印鑑票写しの表面に記載されている島本一之の氏名、印影と何らかの関係があると考えるのが常識であるという。

しかし、右(1)の点については、右印鑑票写し中の「サトウセイサクショ」等の記載部分は、同票に正式に記入されている表面及び裏面上段の預金者の住所、氏名、担当者名、金額等の記入部分(以下、正式に記入された部分という。)と比較して、筆跡、字の太さ及び濃淡を全く異にしており、書体も走り書き的に、すなわち「七日」か「七月」かは必ずしも判読できず、「サトウセイサクショ」の「ウ」及び「シ」などはむしろ他の字ではないかとさえ疑われるほど乱雑に書き込まれているので、原判決が「サトウセイサクショ」等の記載部分は一時的なメモ代りとして記載されたものと判断したことは相当というべきである。所論は、右印鑑票は重要書類であるというが、右印鑑票写し及び前記解明書を照合すれば、同票に記載された預金は、昭和四四年四月一日に払い戻されているので、右印鑑票はその後は書類としての重要性を失っており、その裏面に同票とは関係のない事項を走り書きすることは十分ありうることである。また、前記(2)の点については、右(1)で説示したところのほかに、右印鑑票写しの各記載と前記解明書中の島本一之の各記載とを比較すると、右印鑑票に正式に記入された部分の預金者、預金額、担当者、支払日などは、解明書中の名義人、預金額、担当者、支払日などといずれも一致しているにもかかわらず、右印鑑票の「サトウセイサクショ」等の記載部分のうちの「七日入金」又は「七月入金」なる記載は、右解明書の各記載と全く関連していないことも考慮すると、「サトウセイサクショ」の記載は、右印鑑票に正式に記入、押捺された島本一之の氏名、印影とは無関係であることは明らかであるというべきである。

所論は、更に、原審は、弁護人の要望にもかかわらず、右印鑑票の原本の取寄せを怠り、審理を尽くさなかったというが、弁護人は、原審において、右印鑑票の写しが添付されている前記確認書の取調べに異議がない旨陳述しているばかりでなく、前記「サトウセイサクショ」等の記載部分が一時的なメモ代りとして記入されたものであることは、写しによっても前記のとおり明瞭であるので、原審がその原本を取り寄せなかったからといって、審理をつくさなかったとはいえない。

所論は、また、検察官が右佐藤製作所へ問い合わせた場合、たとえば右預金が同製作所のものであったとしても、同製作所がこれを肯定することはないと考えるのが常識であるという。

しかし、検察官作成の電話聴取書によれば、同製作所の佐藤重兵衛が検察官からの問い合わせに対し、右預金が同製作所のものではない旨の回答をしたのは、昭和五四年四月のことであり、当時は右預金がなされたころから優に一〇年は経過していたのであるから、右佐藤が所論のように検察官に対し真実に反してまで右預金が同製作所に帰属しない旨の解答をするとは決していえないばかりでなく、弁護人は右電話聴取書の取調べに同意しているのであるから、原判決が右書面並びに前記解明書、確認書及び野島忠義の原審証言などにより、右預金が右佐藤製作所ではなく、「延田清一」に帰属すると認定したことは相当であるというべきである。

次に、所論は、佐藤製作所へ尋ねてみて同製作所の預金ではないとの返答があったということから直ちに右預金が被告人田の預金であると決めつけることは、判断の飛躍であるというが、原判決は、前記のとおり、前記電話聴取書のほかに、前記解明書、確認書及び野島忠義の証言をも資料として右預金が被告人田に帰属することを認定しているのであるから、所論の非難は当たらないというべきである。

二 然しながら、右の原判示は、銀行業務の実体と査察調査の実情に関する著しい認識不足のもとに本件の事実関係を確定したものであって、そのため刑事訴訟法三二三条三号の解釈を誤り、疑わしきは罰せずという刑事訴訟の基本原則に背反し、憲法三一条、同二九条一項にも違反する結果を招来しているのである。

三 本件は、無盡会社より発展した近畿相互銀行生野支店における架空名義預金について真実の預金者を解明することの正確性に端を発している。

一般に銀行業務は、長期安定性のある預金を多額に獲得することと、これを堅実有利に貸付けてその利息を得ることが中心となっているが、預金利率については、一般都市銀行も相互銀行も統一されているので、相互銀行の預金獲得は一般都市銀行に比して厳しい対応に迫られており、架空名義預金の設定、貸付条件の緩和策等によってそのハンディを克服しようと必死の努力をしているのが実情である。

そのため架空名義預金の設定についても、銀行側において適宜住所氏名を作って印鑑をも調達提供し、顧客である預金者の会社や自宅へ勧誘に行き獲得した預金であってもいわゆる店頭扱いとして後日税務調査などの際には銀行側において顧客が告げる住所氏名を信じて預金手続きを行ったもので架空名義であることは知らなかったと弁解できるような方法をとり、預金者の預入資金の入手方法を秘匿しようとする顧客に対する過剰なサービスを行っている例がかなり多い。営業担当者の成績はその獲得した預金の金額、期間等によって定められた点数制に左右されるので、各担当者は顧客の意向をふまえ顧客に迷惑をかけないよう必死の努力を続け、これら担当者を部下に持つ支店長・支店次長の成績は、これら担当者の成績の集積となるわけで、顧客に対するサービスも担当者と意思を相通じて顧客に迷惑をかけないことを信条としているのである。

従って、架空名義を使用する預金者の数は、多数にのぼり、その口座は日々設定されており、銀行側で真の預金者名を明らかにできる記録を保存しているときは、例えばAの架空名義預金者に対する査察調査により銀行が捜索を受けた場合右記録が押収されることは必死であり、そのときは、A以外多数の架空名義預金者が発見されることになるからこのような記録を保存することはなく、もともと架空名義預金受入れの事実があれば国税査察官から銀行員自身が脱税の共犯ないしは幇助犯として追求されることを危惧するところからも、各担当者が私的に記録するに止め、満期日が到来したとき顧客の方から解約もしくは継続の申入れがないときには、担当者の方から顧客に連絡してその継続方を懇請するのが実体であり、各担当者は解約又は継続になった預金の記録はそのまま手許に保管しているか、さもなくは破棄してしまうので、担当者が単に記憶だけによるときは、自分が取扱ったすべての架空名義預金の真実の預金者が誰であるかを的確に指摘することは絶対に不可能なことである。

また、逆に預金者側においても自分の過去の架空名義預金について何らの記録がないときは特別の預金設定事情(例えば妻の旧姓と自分の長男の名を組み合わせたり、学友の姓と名を組み合わせたりしたもの)がないかぎりすべてを正確に記憶することはこれまた絶対に不可能である。

国税査察官は、銀行の査察調査の際、一件でも架空名義預金を発見すると、銀行側に対し、預金台帳(主として定期預金、通知預金)の中から架空名義と思われるものを摘出しそのすべてについて真実の預金者を明らかにせよと要求し、この要求に応じないと支店長以下担当者が脱税の共犯又は幇助犯を構成すると迫るので支店長以下担当者らは各顧客に与える迷惑を最少限に止めるよう配慮しながら担当者の記録のあるものは記録により、記録のないものについては単に記憶によって一応各顧客に結びつけこれを国税査察官に対し回答し、国税査察官はその中から当該犯則嫌疑者の分だけについて支店長その他担当者作成名義の確認書に纏めさせ、当該犯則嫌疑者以外の分については秘匿したうえ別件の査察調査の着手資料とするのである。

四 以上のような銀行業務の実態と査察調査の実情に立って原判決の判示を考察すると、原判決は終始机上の形式論で一貫し、真実の探究を怠り被告人田宅相に帰属するかどうか疑わしい前記島本一之名義の通知預金をもって同被告人に帰属するものと断言するという誤った結論に達しているのであり、逆に右島本一之名義の通知預金は被告人田宅相に帰属するものとの結論を先に出しておいて、これに見合うように理論構成をしていったと思われるふしが見受けられないこともない。前記島本一之名義の通知預金一〇〇万円は、昭和四三年一一月一八日預入れ、翌四四年四月一日解約となっているもので、昭和五三年五月二〇日奥村祥男作成の預金図解表によっても明らかなように、その発生時期・通知預金という特殊なものであることなど、被告人田宅相の他のすべての架空名義預金と比べると、同人に帰属するとみるのは極めて不自然である。

五 本件事実認定において最も有力な証拠となっているものは、架空名義定期預金解明書(符号三九号)である。

右解明書は、昭和四五年四月二〇日ころ、近畿相互銀行生野支店の顧客で同支店に架空名義定期預金を有していたある犯則嫌疑者に対する査察調査が行われた際、国税査察官により同支店が取扱った預金のうち架空名義の疑いが持たれた各預金口座について三年間遡って真実の預金者を明らかにするよう要求された際作成されたものであり、その体裁は支払い日、預金者名義、金額、預入日、担当者、真実の預金者名(この外に住所、職業、電話番号等の一部が記入されている。)を記載することになっているが、右支払日欄以下担当者名欄までの記載は同一人の筆跡と思われるが、真実の預金者名欄の筆跡の大半は各担当者が記入したものと思われる。

六 そして、右解明書中には担当者欄に野島と記載されたものが多数あり、そのうち真実の預金者名欄に「延田清一」と記載されているものもかなりの数に達している。

原判決は右の野島担当分の記載につき、

1. 野島の担当で真実の預金者名欄に「延田清一」とあるのは野島の作成(筆跡の意)であること

2. 作成目的が架空名義預金の真実の預金者を明らかにすることであったこと

3. 被告人田宅相の当時の預金担当者であった野島の記憶によって記入されたものであること

を認めている。

そして野島が外廻り担当者として被告人田宅相の預金の状態を一番よく把握していることが認められるというのである。

七 一般に銀行の担当者が過去の架空名義預金の内容のすべてを記憶だけによって明確にすることは絶対に不可能であることは前にも述べたとおりである。

前記のとおり、島本一之名義の通知預金一〇〇万円口は昭和四三年一一月一八日預入れ、昭和四四年四月一日支払い(解約)となっており、野島が同様に右解明書に被告人田宅相の架空名義預金として記入しながらその後これを撤回している速水龍治名義の定期預金三〇〇万円口、(昭和四四年七月一四日預入れ、同年七月二五日支払)、(横罫紙使用部分)及び植田喜久男名義の定期預金一〇〇万円口(昭和四四年四月四日支払)(縦罫紙使用部分)と比較すると一年以上も過ぎた解明書記載の時点における野島の記憶だけをもとに記載した野島記載部分は刑事訴訟法三二三条三号に該当するものでないことは明らかである。原判決は第一審において証拠調が行われたのは、右解明書中の野島忠義作成部分のみであり、しかも弁護人は書面としての取調に異議を述べていないというが、刑事訴訟法三二三条三号に該当しないものをこれに該当するものとして取扱った第一審判決に対し、書面の異議を証拠とすることについて争いがあることを主張した第二審においては、第一審において書面としての取調に、異議を申し述べなかったからといって(刑事訴訟法三二三条三号の書面の取調に異議を申し述べなかったことと、同法三二一の書面の取調に同意することとは本質的に異なるし、弁護人は存在については争いがないので取調に異議を申し述べていない。)治癒できるものではなく、原判決が判示した前記1.2.3.の作成経過によっても他の条文に比して極めて強力な証拠能力と証明力を与える刑事訴訟法三二三条三号に該当するものとは到底なし得ず、これを同条項に該当するものと判断した原判決は明らかに同条の解釈を誤っているものである。

八 原判決はさらに野島が速水龍治、植田喜久男各名義の預金が延田清一に帰属すると一旦確認しながら、のちにこれを否定したのは昭和四四年四月一日に延田清一の預金が全部払戻され、その後新たに預け入れられたものがあったかも知れないがはっきりした記憶がなかったので右四月一日より後に払い戻された右速水ら名義の各預金は右確認から除去することにした旨の証言をしていることについて前記野島が外廻り担当者であって延田清一の預金状態を一番よく把握していた旨の証言と併せて、合理的な証言であるとなし、特に島本一之名義の預金は、昭和四四年四月一日払戻され、預金解明書は昭和四五年四月に作成され、野島の比較的新しい記憶によって作成されているので信用性が高いというのである。

預金状態を一番よく把握している者がはっきりした記憶がなく、昭和四四年七月二五日支払の速水龍治名義の預金よりもその前の同年四月一日に支払われた島本一之名義の預金の方が比較的新しい記憶の対象として信用性が特に高いという原判示の論理形成にはそれ事態の中に矛盾がある。

島本一之名義の預金は延田清一に帰属するという野島証言を是が非でも正当として認容しようとして支離滅裂の論理を駆使しているのである。

このような論理によって被告人が処罰されてはたまったものではない。

九 前記解明書の五枚目には、昭和四四年四月一日支払いとして、島本一之の一〇〇万円口と島一男名義の一〇〇万円口が並んで記入されているが後者には担当者欄の記入すらなされていない。

これによって、昭和四四年四月一日に架空名義預金を解約したのは延田清一に限られていないことが明らかである。

また、一枚目の高田隆夫名義二口(昭和四二年六月一三日支払二、〇〇〇、四三二円及び同年六月一〇日付四、〇〇〇、〇〇〇円)いずれも野島が担当者で、さきの一口は当初分を継続したうえの端数がある元利合計と思われ記憶に残る筈であるのに真実の預金者欄には「申込書に住所なし」と記載しているだけで預金者名を記載していない。さらに野島が担当者となっている四枚目の植田義一名義二口(昭和四三年四月二三日支払二、九〇〇、〇〇〇円口及び二、〇〇〇、〇〇〇円口)についても同様であり、七枚目の高田一郎名義一口(昭和四三年一二月二一日支払二、〇〇〇、〇〇〇円)については真実の預金者名欄には空白のままで記入がない。

このようなことでは野島の記憶によって記入された分だけがすべて正確であると断定できる筈がない。しかも解明書作成時点に近い前記速水龍治、植田喜久男に関する野島の記憶はその後誤りとして訂正されているのである。

原判決は前記解明書は、刑事訴訟法三二三条三号に該当し、書面の意義が証拠となるものと判示しながら、その中身にいたっては島本一之名義の欄に延田清一の記載がなされている部分のみを見て結論を急いでいるのである。

第一審判決が前記解明書のうち証拠調をしたのは島本一之名義預金の真実の預金者欄に記載された「延田清一」なる部分だけではなくて、その他野島担当で真実の預金者名義欄に「延田清一」と記載されている部分をも含むことは当然であり、右解明書は証拠物たる性質が存するところから、少なくとも野島担当の預金口座については真実の預金者欄の記入を綜合的に考察しなければ、野島の記憶の正確性を判断することは極めて危険である。

一〇 次に原判決は印鑑票の写しを添付した山崎支店長作成の確認書という有力な裏づけがあるとして、右確認書の証明力を高く評価しているが、これは全く銀行実務に通じない者が、支店の最高責任者である支店長名義であるという形式だけから判断したもので、右確認書作成経過は前述のとおり、支店長は作成名義人となるに過ぎず、預金獲得のみならず貸付その他支店の人事経営一切を統括する支店長が架空名義預金の真実預金者名を責任をもって確認できるような余裕は全くなく、右確認書は担当者である野島の証言よりも証明力が勝るということはあり得ない。

一一 更に原判決は島本一之の印鑑票の裏面の「サトウセイサクショ」等の記載部分は一時的なメモ代りとして記載されたものとの第一審の判断を相当とし、右島本一之の預金は、昭和四四年四月一日に払い戻されているので右印鑑票はその後は書類としての重要性を失っており、その裏面に同票とは関係のない事項を走り書きすることは十分あり得ると判示するが、これはとんでもない独断である。

印鑑票は、預金管理における最も重要な書類の中の一つである。この印鑑票は預金設定手続きが終わると一定の場所において厳重に保管され、中途解約、満期払戻等の場合に、これを取出して来てその受領印と照合して相違ないことを確認のうえ支払いがなされるわけであり、満期払戻後においても一定期間引続いてこれを厳重に保管し万一第三者より印鑑相違による払戻しをしたとして追求されても払戻し手続の正当性をもって対抗できるよう配慮されているのが銀行業務である。

従って島本一之名義の印鑑票に「サトウセイサクショ」等の記載がなされる機会は、野島が右預金を設定し、印鑑票を保管係に引継ぐまでの時間帯しか考えられず、その記載がなされた経緯は野島の記憶によって明らかにする以外に方法はないのであるが、野島はその経緯を記憶していないのである。

然るに、第三者が、原本も見ないでそれがメモであるとか走り書きであるとか勝手な想像を逞しくすることは許されないし、昭和四四年四月一日に払い戻されているので、右印鑑票はその後の書類として重要性を失っているので、その裏面に同票とは関係のない事項を走り書きすることは十分にあり得るというのであれば、その記載が昭和四四年四月一日以降になされたことを前提としなければならないが、その前提事実は確認されていない。

恐らく全国どこの銀行においても昭和四四年四月一日に解約された印鑑票が昭和四六年三月(本件査察当時)までの間にその裏面に何人がなしたかも明らかでない記載がなされているような社撰な管理をしているところはないものと考える。

この意味において、印鑑票原本は重要な証拠物であるが、原判決は弁護人が第一審において右印鑑票の写しが添付されている確認書の取調べに異議がない旨陳述しているばかりでなく、「サトウセイサクショ」等の記載部分が一時的なメモ代りとして記入されたものであることは写しによっても明瞭であるから原本を取寄せなかったことについて審理不盡はないというが、原本の用紙の汚染、皺の状況、メモ書と判断する記載の筆記用具等は原本なくしては判定できず、実体的真実を解明すべき責任のある裁判所としては弁護人からの原本取寄せ申請に基づいて取寄決定を出すか(当時被告人は近畿相互銀行生野支店とは取引がなく、そのため直接原本の提出を求めても応じてもらえなかった)、然らざれば立証責任を負う検察官の方から提出させるかしなければ被告人に対し不公平な裁判となる虞れは拭い切れない。

弁護人は第一審において昭和五四年三月六日付鑑定請求書において近畿相互銀行生野支店より押収された担保品台帳中、マジックインキで抹消された末尾三行の記載内容を明らかにするための鑑定を求めたが右請求は却下され、原審においても昭和五八年一〇月一二日付で同様の鑑定請求をしたが、既に対比調査の資料となるべき定期預金台帳が廃棄されていることが、立会検察官によって明らかにされたので弁護人は遺憾ながら右鑑定申請を取り下げた。

近畿相互銀行の粗雑極まる事務姿勢とそれによって作成された疑問のある文書類について自らその真相を解明しようとすることなく証拠収集能力の弱い弁護人被告人の反証活動を実質的に抑圧せんとする本件第一、二審の訴訟指揮には被告人も弁護人も釈然としないものがある。

一二 佐藤製作所の電話聴取書は、第一審における昭和五四年五月三一日の公判期日に検察官より突然取調請求がなされたものである。

当日は午後一時から午後三時三〇分までの間に被告人質問を終り次回七月一六日午後一時から検察官の論告、次々回八月一三日午後一時から弁護人の弁論と指定されていた。(この指定はさきの四月五日になされている。)

弁護人は、右のように既に審理日程が定まっていること、もともと島本一之名義の預金が佐藤製作所の預金であると確信を持っていたわけでなく前記生野支店の預金者の中に佐藤製作所なるものが存在することを立証したにすぎず、佐藤製作所が自社の預金でないと言ったからといってそれが直ちに被告人延田清一の預金であるということにならないので、その内容について争いの余地はあるもののあえて不同意とすることなく前記電話聴取書に同意した次第である。

ところが原判決は弁護人が同意したことをもって全面的にその内容を認めたが如く解し、佐藤製作所において右預金が同製作所のものではないと回答したのは、昭和五四年四月のことであり、当時は右預金がなされたころから優に一〇年は経過していたのであるから、右佐藤が所論のように検察官に対し真実に反してまで右預金が同製作所に帰属しない旨回答をするとは決していえないというのである。

原判決の右の判断は、経済人からすれば何をか言わんやということになろう。まず、佐藤製作所が回答当時所轄税務署における申告納税に関する優良法人と指定されていたとしたら仮りに一〇年前のことであっても架空名義預金があったことを正直に答える筈はない。また佐藤製作所が一〇年前において架空名義預金を全くしていなかったといえるかどうかも疑問であり、その架空名義預金を一〇年後において記憶しているかどうかも疑問である。

かような煩わしいことには否定の答をして関係を絶とうとすることが一般常識でもある。

国税査察官や検察官が架空名義預金について真実の預金者を発見するのには多数の資料を収集し直接関係者に質問するなどの苦労を重ねているのに、右のように電話聴取によって得た回答でそのことが簡単に確定されていくのであれば、調査官や捜査官の苦労はいらない。

一三 以上述べたように島本一之の通知預金一〇〇万円が、被告人田宅相に帰属すると断定するためには合理的な疑いが多分に残されているのである。

然るに原判決は、銀行業務の実態と査察調査の実情に関して著しく認識を欠き、そのため刑事訴訟法三二三条三号の解釈を誤り、憲法三一条に違反して重大な事実誤認に陥り、その結果被告人田宅相に対し不当に多く租税債務の存することを認定して同被告人の財産権を侵害し、憲法二九条一項に違反するに至ったものである。

第二点 原判決は、被告人田宅相の昭和四四年分の事業所得に関し、延田興業株式会社勘定の金額の認定について判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反及び重大な事実誤認を犯し、よって憲法二九条一項に違反する。

以下その理由を述べる。

一 原判決は弁護人の

第一審判決は、被告人田宅相の昭和四四年分の事業所得に関し、同被告人と延田興業株式会社(以下、延田興業ともいう。)との間の貸借勘定は、第一審判決添付の別紙(三)の修正貸借対照表(同年一二月三一日現在)中の同会社勘定六六、〇八五、八八六円にすべて包含されているというが、右勘定は、

法人の役員立替金残 △五六、九六四、一六〇円

法人未払金残 四六三、一一七円

過大過少引継修正 △一八、五六〇、八二九円

合計 △七五、〇六一、八七二円

となるべきであり、したがって、右勘定は、第一審判決認定額より更に八、九七五、九八六円減額すべきであって、第一審判決はこの点において事実を誤認している。

との控訴趣意に対し、

そこで検討すると、第一審判決は、被告人田の同年分の事業所得を(1)一月一日から七月三〇日まで(第一審判決添付別紙(二)の修正貸借対照表)と(2)七月三一日から一二月三一日まで(同(三)の修正貸借対照表)の分に分けて算出し、その合計額を同年の事業所得としているところ、所論は、右(2)の期間の所得の算出につき、第一審判決が財産法を用いていることを前提とし、右別紙(三)の修正貸借対照表中の延田興業勘定六六、〇八五、八八六円のより以上の減額を主張することにより、同表中の所得金額の減少を主張するものであるが、第一審判決は、右期間の所得を財産法によって算定しているのではなく、次のように損益法によってこれを四三一、〇〇七円と算出認定しているのである。

一 事業所得

計量収入 八一七、七〇〇円

雑収入 一、二四四、六五一円

給料 △三四八、〇〇〇円

減価償却費 △ 四三、二九四円

貸倒金 △五〇〇、〇〇〇円

事業税 △七四〇、〇五〇円

計 四三一、〇〇七円

そして、第一審判決は、さらに

二 店主貸勘定を

生活費 一、〇〇〇、〇〇〇円

所得税 四、一二七、六〇〇円

固定資産税 一五、八〇〇円

計 五、一四三、四〇〇円

三 店主借勘定を

給料(日進興業株式会社)一七八、〇五〇円

同 (延田興業) 八〇〇、〇〇〇円

受取利息 四七八、八九二円

不動産所得 一、四八四、〇九二円

譲渡所得 二、三六八、八四〇円

計 五、三〇九、八七四円

とそれぞれ算出認定し、以上(一)ないし(三)の事業所得金額及び個人収支に加えて同年一二月三一日現在における財産状態をも認定し、以上の貸借対照表における貸借差額を逆に延田興業勘定に計上していることが明らかであり、その計算方法に誤りはなく、また、前記一の損益法による事業所得額の算出認定も、久保浩作成の昭和四七年一月二二日付査察官調査書類及び飯田光子作成の供述書などによれば相当であって、その額は動かし難いものと認められる。したがって、所論が右延田興業勘定の額を争うことによって前記(2)の同年七月三一日から一二月三一日までの期間の事業所得を争うことは、失当というべきである。

なお、所論は、延田興業勘定を、法人の役員立替金残、法人未払金残及び過大過少引継修正の合計額として捕らえるが、これでは期首における財産状態の修正はなしえても、その後における期間中の財産の変動を所得の計算に反映させることはできないから、所論はその計算方法において誤っているというべきである。

と判示して前記控訴趣意書を排斥した。

二 ところで右の原判決は、第一審判決は、昭和四四年一月一日から同年一二月三一日までの期間における所得を財産法によって算定しているのではなく損益法によって算出しているというが、第一審判決は、右期間を被告延田興業株式会社設立までの昭和四四年一月一日から同年七月三〇日までと設立後の七月三一日から同年一二月三一日までの期間に分けて、夫々修正貸借対照表を作成し、前期分を別紙(二)とし、後期分を別紙(三)として判決文に添付し、右両貸借対照表を綜合して被告人田宅相の昭和四四年一月一日から同年一二月三一日までの期間における所得を計算していることが明らかであって、原判決は事実認定の基礎となるべき所得の算定方式自体を誤解している。

三 つぎに原判決は、前記のとおり

(一) 事業所得 四三一、〇〇七円

(二) 店主貸勘定 五、一四三、四〇〇円

(三) 店主借勘定 五、三〇九、八七四円

を算出し(一)ないし(三)の事業所得金額及び個人収支に加えて昭和四四年一二月三一日現在における財産状態をも認定し、以上の貸借対照表における貸借差額を逆に延田興業勘定に計上していることが明らかであり、その計算方法に誤りはないと判示している。

しかしながら原判決が右(三)の店主勘定五、三〇九、八七四円の内訳として掲げている

イ 給料(日進興業株式会社) 一七八、〇五〇円

同 (延田興業株式会社) 八〇〇、〇〇〇円

合計 九七八、〇五〇円

に対しては、第一審判決は、別紙(四)の税額計算書において

給与所得(実際額) 二、二六二、〇〇〇円

と認定し、

ロ 不動産所得 一、四八四、〇九二円

に対しては、第一審判決は、右別紙(四)において

不動産所得(実際額) 一、一六九、九七五円

と認定し、

ハ 譲渡所得 二、三六八、八四〇円

に対しては、第一審判決は、右別紙(四)において

譲渡所得(実際額) 二、〇六八、八四〇円

と夫々認定している。

この点においても原判決は、第一審判決を誤解しているので、第一審判決に対し、不服を申し立てている控訴趣意に対する正当な判断を示すことができない結果に陥っている。

もし、原判決が、第一審判決別紙(四)の税額計算書に掲げられた給与所得、不動産所得、譲渡所得の各金額と異なる金額を認定したのであれば、これらはいずれも訴因を構成するものであるから、第一審判決を破棄したうえでなければこれをなし得ないので、この手続をとらなかった原判決は訴訟手続における法令に違反するものである。

四 本件控訴趣意は、第一審判決別紙(三)の修正貸借対照表の勘定科目延田興業勘定の金額六六、〇八五、八八六円に対し、七五、〇六一、八七二円を主張するものであって、これによって所得額が減算されることは当然であるのに、これを争うことが失当なりとする原判決の考え方は第一審判決に対する誤解に基くもので、それが誤ったものであることは自明である。(別紙(二)の修正貸借対照表の差引修正金額を別紙(三)の修正貸借対照表で過年度分として計上している。)

五 さらに原判決は、控訴趣意は延田興業勘定を、法人の役員立替残、法人未払金残及び過大過少引継修正の合計額として捕らえるが、これでは期首における財産状態の修正はなしえても、その後における期間中の財産の変動を所得に反映させることはできないから所論はその計算方法において誤っているというが、弁護人の主張は昭和四四年七月から同年末に至る間の法人の役員立替金、法人の未払金の変動を逐一把握して各残高を計算し、これに過大過少引継修正額を合計したものであるから期首は勿論期末の財産状態も正確に算出しているものであって、原判決が具体的にどの部分が漏れているから期間中の財産の変動を所得に反映させることができないと指摘しないかぎり、原判決の判示は、抽象的に過ぎ、弁護人にも被告人にも理解できないものであるから、理由を示したことにならず、刑事訴訟法四四条一項に違反する。

六 以上述べたところにより明らかなように、原判決は第一審判決自体を誤解しており、従って本件控訴趣意に対する理解をも欠き、一部第一審判決と異なる金額を認定しながら、結論だけは第一審判決の事実認定を是認し、よって訴訟手続の法令違反とともに重大な事実誤認を犯したものであり、これによって被告人田宅相に対し不当に多く租税債務の存することを認定して同被告人の財産権を侵害し、憲法二九条一項に違反するに至ったものである。

第三点 原判決の量刑は著しく重く破棄しなければ著しく正義に反する。

一 原判決は被告人両名についての量刑不当の主張に対し

本件は、被告人田が昭和四三年及び四四年分の所得税合計四八、四〇八、八〇〇円中の三四、八六三、五〇〇円をほ脱した所得税法違反二件(第一審判決判示第一の一、二の各事実、ただし、昭和四四年分の所得税額及び同ほ脱額については当審で認定した額による)及び被告人会社の代表取締役である被告人田が右会社の業務に関し、昭和四四年七月一四日から同四五年六月三〇日までの期間の法人税三四、九一八、八〇〇円中の二三、七八八、七〇〇円をほ脱した法人税法違反一件(同第二の事実)の事案であり、当時の貨幣価値を考慮すると、ほ脱額及びほ脱率とも極めて高いこと、被告人田は右各違反行為を一人で企図し、従業員などを使用してこれを実行したものであって、犯情芳しくないことなどに徴すると、被告人両名の責任は重いというべきであるので、本件後被告人田が反省し、自己及び被告人会社の納税を正しくするよう努力していること並びに被告人田にさしたる前科がないことなど被告人両名について酌むべき一切の事情を斟酌しても、被告人田を懲役一年執行猶予三年及び罰金七〇〇万円、被告人会社を罰金五〇〇万円にそれぞれ処した第一審判決の量刑が重過ぎるとはいえない。

として主張を排斥した。

二 本件は、昭和四七年三月九日、起訴された事案である

このうち第一審判決判示第二の事案は被告会社が法人成をした最初の一年であり、しかもその期間は三六五日に満たないものであって、かような事案まで告発起訴することはほかに類例が乏しく全く苛酷といわなければならない。このような苛察傾向は本件の調査捜査を通じて見受けられ、何としてでも犯則所得を多くしようというところから無理な事実認定に傾いているのである。

第一審判決で起訴状の犯則金額が減額して認定されていることはその証左のひとつである。

本件審理が長びいたのはそのためであって、被告人側の事情によって公判審理が停滞したようなことは一度もない。

本件控訴趣意書は、昭和五五年九月一〇日提出したが、原審第一回公判は、三年以上も経過した、昭和五八年一〇月一二日開かれている。

三 弁護人は被告人の経歴と人柄に対し尊敬の念を抱くとともにこの一三年間において、納税義務の履行の肝要さを説き、被告人も亦素直にこれを認めて法人、個人ともに優秀な申告納税の実を挙げて来た。

刑事被告人の座にいること一三年は既に厳しい懲罰である。

四 以上の理由により本件における被告人田宅相及び被告法人に対する量刑は不当に重く破棄しなければ著しく正義に反する。

以上の各理由により原判決を破棄し、大阪高等裁判所へ差戻しさらに審理を盡くすべきを相当と思料し本件上告に及んだ次第である。

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